時を超える想い 前編
「アベーユ家のクリスティーネ様、マイズナー家のエリーザ様、ロイス家のビアンカ様・・・どれも我が国きっての貴族のご令嬢だ。どれでも好きな女性を選ぶといい」
手に持った書類を事務的に読み上げるクラウンを一瞥すると、ヴェルはこれ見よがしに溜息を吐いて見せた。
「また王妃の話か?余はまだ結婚などせぬともう何度も言うているであろう」
「君は自分がいくつになったと思っている?いつ結婚してもおかしくない年齢のはずだ」
「年など、とうに数えておらぬ」
投げやりに言い放ってふい、とそっぽを向く子供っぽい行動にクラウンは目を細めた。
「いい加減世継ぎを作れ、と大臣達にせっつかれているんだろう。世継ぎを残すのも皇帝の仕事の一つだ」
睨まれて、皇帝は言葉に詰まる。
一人の人間の少女と出会ってから、既に300年の年月が流れていた。それでもまだヴェルの心の中には色あせる事のない想いが根付いていたのだ。
記憶の中の少女の顔はずいぶんとおぼろげになってしまったが、あの時に感じた恋情は今もまだはっきりと覚えている。その少女の名は――
聖。
ヴェルとは相反する、聖なる名を持つ人間の少女。
彼女の願いは完全とは言えないが、叶った。今、ノーブルと人間は互いに協力し合って生きている。人間の農業や建築に関するノウハウをノーブルが学び、ノーブルは人間では危険な作業を請け負っている。
しかし表面上は平等に見える関係だが、お互いに未だ偏見や差別があり、衝突も起こる。徐々に緩和されているとは言え、もう少し時間がかかるとヴェルは考えていた。
だが、それでも彼女がこの世界に来た300年前に比べれば大変な変化だろう。
ヴェルは城下を見るとつい考えてしまう。この世界を彼女に見せたかったと。この時代で彼女に会いたかったと。
――だが、それも詮無き事・・・。
いくら願っても、もう聖に会うことは無い。ならば希望は捨てて早く身を固めた方がいいだろう。
「ヴェル?どうかしたのか?」
突然押し黙ってしまった主に、クラウンは表情にこそ出さないが、少し心配そうに声を掛けた。
その声に、ヴェルはハッとしたように顔を上げると誤魔化すように手元にあった書類を掻き集めて目を落とす。
「・・・とにかくまだ結婚は考えぬ。申し込んで来た貴族達には余から話すゆえ」
「それならいい。断ると私が文句を言われるのだ」
「・・・・・・」
文句を言われるのが煩わしいと言う理由で結婚を勧めていたのか、と疑いたくなる態度に皇帝が思わず頭を抱えた時だった。
コンコン。
執務室のドアが遠慮がちにノックされた。
「何じゃ?」
「メイド長のハンナでございます。今、お時間よろしいでしょうか?」
「構わぬ。入るが良い」
何の用かと手元の書類を置くと、信頼するメイド長と一人の少女が室内に入って来た。
「――――っ!?」
なぜか少女を見た瞬間、体に電流が走ったような感触を覚えて、思わず椅子から立ち上がる。
「陛下?いかがなさいましたか?」
訝しげなメイド長に、咄嗟に何でもない、と誤魔化しながら、はやる気持ちを抑えようと人知れず深呼吸をする。
そしてある程度気持ちが落ち着いたところで、再び椅子に腰掛けると視線だけを少女に走らせながら口を開いた。
「・・・ところでそれはどこの誰なのじゃ」
「はい。新たに陛下付きになりましたメイドでございます。今日はご挨拶に伺ったのです」
ハンナの後ろに控えていた少女が一歩前に進み出た。ようやく顔が見れると思ったのもつかの間、すぐに頭を下げてしまう。
その拍子に、サラリとした黒髪が肩から零れ落ちるのをどこか夢心地で見ていると、
「ミリィと申します。今日から宜しくお願い致します」
幼さの残る、しかし落ち着いた声で言い、静かに顔を上げた。
「あぁ、よろしく・・・・・!?」
平静を装って返事をするはずだったが、少女の顔を見た瞬間、ヴェルは完全に我を失った。
「・・・ひ、じり?」
「―――っ!?」
無意識にその名を呟くと、少女も雷にでも打たれたように固まって、目を見開いた。
――馬鹿な・・・こんな事・・ありえぬ!
必死に否定しても、目の前の少女、ミリィは記憶の中の聖とダブって見えた。それくらい、似ていたのだ。
サラサラとした黒髪に意志の強そうな黒い瞳。彼女を見ていると、おぼろげだった聖の顔が鮮やかに思い出されていく。
「?ミリィ、陛下と知り合いなのですか?」
見詰め合ったまま微動だにしない二人に、メイド長が口を挟む。瞬間、止まっていた時が動き出したように我に変えると、ミリィは慌てて否定した。
「いいえ!初対面でございます。その・・・陛下にお会い出来て感動してしまって・・」
「そう。陛下はお美しいですもの、まぁあなたくらいの年齢なら仕方ないわね。失礼致しました、陛下」
「・・・いや・・・そなた、ミリィと申すのか?」
ヴェルも我を取り戻し、幾分冷静に尋ねた。まだ心臓はおかしいくらい早鐘を打っていたが。
「はい。ミリィです。以後、お見知りおきを」
「あぁ・・ところで、その・・そなた、ノーブルなのか?」
尋ねておいてすぐに馬鹿な事を聞いた、と後悔した。ヴェル付きのメイドに人間を使う事は有り得ないからだ。まだそこまで交流が進んでいない事もあるが、いざと言う時ヴェルの身を守るには人間は脆弱過ぎる。
問われて、ミリィは少しだけ気まずそうな顔をすると、すぐに気を取り直したようにしっかりと皇帝に向き直って、言った。
「私はノーブルと人間のハーフです」
「ハーフ?」
「はい。でも、私は両親を尊敬していますし、自分の生まれを後悔した事もありません」
混血は昔に比べれば珍しくないとは言え、まだまだ少数である。隠したがる者も多い中、彼女は臆する事無くそう言った。
彼女の凛とした態度に、皇帝をも恐れない姿に、ヴェルは感動すると共に確信した。
名前も生まれも異なるが、その清廉な魂は何一つ変わっていない。
彼女は間違いなく、300年前に会った愛しい少女、聖だった。
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